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養老天命反転地で,自らの生に責任を持ち当事者意識を保つことについて考えた(旅行記)

某日

野放図な旅だった.
ふいに友人(id:kwhr4a_y2u)と旅したくなった.高校の同級生を当たってみたけれど,そもそも仲いい人がそんなにいないし,急なお誘いにもかかわらず一泊するつもりであったこともあり,行ってもいいという人が一人だけだった.一人もいたのが奇跡だったかもしれない.香川行こうとか福岡行こうとか金沢行こうとか二転三転して,前日になって「日帰りで岐阜 京都駅に8時な」みたいな連絡で来たのがえらい.私とid:kwhr4a_y2uの両方が,「旅を企画し,皆を案内するという当事者意識」を欠いていたからそんなことになった.やっぱり緊張感も欠いていた.

そんな旅だったので,養老天命反転地に行くというのに一切の下調べや心の準備をせずに行った.それに気づいたのも米原駅に着いてからであった.近いうちに友人id:Yamakatsuが行くと聞いていたので,今米原なんやけど…と電話して見所のようなものを聞いた.早朝の電話にもかかわらず彼は多くを語ってくれた.荒川修作/ギンズという人々が作った場所であるということ,「人は死なない」という主張があって,それを体感できるかもしれないというようなことを聞いた.「人は死ぬ」これは道理に叶った,誰もが抗うことのできない事実のように思える.ただ,これをひっくり返せると,さらには実感できると荒川修作は言う.そのために養老天命反転地は作られたらしい.天命を反転させるということは,そういうことだ.

彼は続けて,それぞれのモニュメントをよりよく体感するための方法が提示されていることを教えてくれた.http://www.yoro-park.com/j/rev/use001.html の内容や,遠足か何かで来た小学生達に向けて荒川修作が「転べ」と言っていたというような話を聞いた.我々の好奇心は次第に高まり,華やいだ気持ちで電車に揺られたのだった.

大垣駅について,養老線に乗り換えるまでに時間があったのであたりを散策した.道行く中高生たちの体が硬直しているように見え,大人と子供の仲が悪い町なのかもしれないと思った.単純に柄が悪いというのでも,不健康そうだというわけでもないが,大人との仲が悪そうだという印象がどうしても拭えなかった.こう言っていたのは三人のうちで私だけではあったが.

養老駅に着いた途端にざっと来た雨にやられた.喫茶店のようなお店で雨宿りして,少し早めのお昼ごはんを食べ,店主さんのご好意で食後のコーヒーをごちそうになっていると雨はすっかり止んだ.やまかつが電話口で言った「転べ」という言葉と,僕がやや誇張して復唱した「…転べ」という言葉を胸に,反転地に向かう.


ケレンしかなかった.本当にこれは夢でないのか,自信が持てないほどの非現実的なそこにはあった.トイレの天井に卓球台.不均一な壁・壁・壁.もっと不均一な床・床・床.おかしな縮尺で岐阜県の地図が記された床や天井や壁.ありえない角度の壁.途方も無い大きさのなんか.瓦っぽいなんか.そんなものに囲まれた私は,第一に直角や直線といったものがいかに不自然なものかということを思い知った.また,体の一部が床に触れている状態は至極当たり前なのに,壁に触れている状態は普段あまりないことを強く意識した.床と壁の違いがどこにあるのか,というようなことを考えるうちに,素粒子に思いを馳せたり馳せなかったりした.「宇宙にとって右腕とはなんだ?」「地球から遠く離れた星に住む宇宙人がいたとして,言葉のみを用いて彼らに右腕を上げるよう伝えることが出来るか?」という問題だ.

また,この壁に触れなければ通れないという風に,道の傾きと壁の配置が設計された関係が何箇所かにあり,印象に残った.とはいえ,各パビリオンの差異については何らわからなかった.感じ取れなかった.ほとんどがおかしな床と壁であった.唯一毛色が違ったのが「地霊」なるもので,ここには闇があった.

帰り道には大興奮で大喜利した.「死なない」ことと天命反転地をいかに結びつけるか.荒川修作がどのように考え,死なないための場所として建築したのか.指につばをつけ,頓智と屁理屈と飛躍の飛び交う,大喜利を堪能した.結局,意味ってなんだろうというところに立ち返りはしたけれど.

常識を打ち崩したり,常識ってなんなんだろうというところに立ち返らせる力が,天命反転地には確かにあった.何度「なんじゃこれは」と言ったか知れない.また,普段の私の中を漫然と通過している物事に目を向けさせてくれもした.重力のことや,床と壁の違いのこと,つまりはxyz座標の取り方がいかに恣意的であるかということ.また,普段の生活空間がいかに直角や直線で満たされているかということ.それらを通じて,意味についても考えさせられた.ただ,私の中ではそれらが「死とはなにか,生とはなにか」に還元されることはなかった.これといった死生観を得ることができず,死なない旅にはならなかった.

こういう対談を読んでもみたが,さっぱりわからない.
http://www.jaist.ac.jp/ks/skl/papers/tokumaru/2_20110621IBIS.pdf

たとえば,あの展覧会の中で一番僕たちが作ろうとしているものを表しているのは『遍在の場所の家』ってのがあるだろ.遍在の場所だから,あなたはとんとんと変わるってことだ.あなたが動くとな,家も動くんだ.それでこの家に意識がなかったらおかしい,そういうことなんだ.この家には意識がありますよってことだ,お前そんな家見たことあるか.

今京都である家を設計しているんだが,小さな家だけどそこに入っていったら,なんか自分が大きくなったり小さくなったりして忘れてしまうそういう家を作ろうとしているんだ.
君が家の中に入ることによって,出てくることによって,いろいろな自分の現象を作りあげていく.家からいろんな物事や物質を与えられて,その中で現象を作り出してそれらとともに生きて,それらとともに出てくるわけだ.

現象というのは,環境,ひとつひとつの環境を作りあげていくことなんだ,いいか.少しバックグラウンドが要るな,哲学か何かの.君はこういうことを考えたことはないか.意識はどうやって発生したか.人間の意識はどのようにして発生するのか.君のキャラクターも僕のキャラクターも誰かが作ったものじゃなくて,たいてい生きているうちにできてきたものだろ.
それを人工的にやろうというんだ.積み重ねや生き方によって変わってくる意識の発生を,人工的にできますよと言っているんだ.今までの人間の歴史は,そういうものは絶対にできない,人間は一度生まれ出て死んだらそれでおしまいだと言ってきた.
僕はちょっと待て,何が死ぬんだ.この肉体がなくなっちゃっても,この全部がなくなってもいいんだ.お前の意識があったらそれでいいだろ.個々で僕が今話していて,その話がわかればいいだろ,体なんかなくても.それをまず明確にしないかぎり,何を言ったってしようがないんだ.いずれもうちょっとしたら消えていくようなものに希望なんか持ったってしようがないだろ.だから僕がやってるのは,人間が一番最初にやらなくてはいけないことだったんだ.それを全然やらなかったから貧しかったんだ.

あなたが入ることによって,あなたの身体が世界の一部分だと思って,それがいろいろな行動をして,現象を作りあげることによって君もひとつの現象なんだ.僕はひとつの現象として,たくさんの現象がある中のひとつなんだ.君が動いたり生きていくことはいろいろな現象を作っているんだ.いくつくらいの現象があれば,そしてそれをまとめれば,私に似たものができるかということをやってるんだ.そのための装置を作っている.

こういうものを読み,考えてはみたが荒川修作の意味するところは全くわかっていないし,おそらくこんなことは言っておられないんだろう.そういった実感はあるのだけれど,「現象は関係性の中で,相対的に生まれる.現象は,現象そのものとして存在せず,認識されることで作られる」よいうようなことをぼんやり推し量っている.さらには,「あなたという生は,ただ客観的な生なのではない.意識によってとらえられることで生たり得るので,意識されることと切っても切り離せない.
したがって,意識されること,どのように意識されるか,などを積み重ねたものは,総体として生として認められるかもしれない」という疑問符だらけの文句や,「生と死について意識しておらず,考え抜き,感じ取ってやろうという気概もない人,生の当事者意識が足りない人には死という現象が訪れることもなく,そういう点で死ぬことさえできない」というような皮肉めいた逆説を感じた.
養老天命反転地から愛をこめて!