大阪ブロガー万博に行ってきました

 2012年以来まともに更新していない私だが,11/2(日)に催された大阪ブロガー万博2014に参加してきた。2012年というとロンドンオリンピックの年で,まだ民主党政権であり,免許はとっくに失効していておかしくない時間が経っている。ブロガーが免許制でなくてよかった,と胸をなでおろしながら参加登録をした。受付で黒服のセキュリティに戦闘力(ブクマ数やPV数)を測定されてつまみ出されそうになったら食い気味で「永遠のブロガー見習いですから!」と絶叫する心の準備をして,会場に降り立った。結果,ボブサップじみた人はいなかったどころか,非常にフラットな環境で交流を楽しめた。みんなブログを書いているという共通点があることと,それ以外に共通点はなく,全然異なる思考と嗜好を持っていることの両方が波状的に効果を及ぼしていた。

 多くの人が集まる場ではボブサップが現れるものだと思っていたし,みんなボブサップになりたいもんだと思っていた。主催をしてくださって,多くの人に声をかけて回ってくれる,みんなが知っている人。知られていることは価値であり,人を集めることは錬金術である。その人は知ってか知らずか高みに登り,有象無象がそれを見ることになる。呼ぶ側と集まる側の差はあまりにも大きく,呼ぶ側へ注がれる視線には様々なものが混じる。このことに気づいたのはごくごく最近のことだ。あちこちで仲人のようなあるいはホストのような役割を果たしているエネルギッシュな人,部族間抗争を起こしかねないほどにサークルの中と外を厳格に区別する人,イベントを主催して収益を上げる人などを横目で見ていて,徐々にそう思うようになった。あとは就活などで東京に行き,東京の人と話すことでも得られた知見であった。切符持つ人・持たぬ人を純然と区別し,無名のままだと内蔵を引きずり出される。有名な奴は偉い,偉い奴は強い,強い奴は偉い,ブクロサイコー。そんな東京。(お前,東京の何を知ってんねん。無名が無名のままでいられる,稀有な街だと言えるかもしれないのに)

 集団は集団であるだけでエネルギーを生む。そのエネルギーを欲しがる人や,自分の力として振り回す人が現れるのは必然である。今回の大阪ブロガー万博においては,このエネルギーの扱いに細心の注意を払われていた。それは主催の方々が,運営や主催を名乗らず,あくまで徹底して"言い出しっぺ"と自称しておられたことに象徴される。みんなが主役で,フラットに,オフ会を作り上げたいという思いが隅々まで行き渡っていたし,その細心の注意を払われていたように思う。この背景にあるのが美学なのか人柄なのか,何らかの意図なのか,残念ながら聞きそびれてしまってわからない。ただ,私は大阪らしさを心ひそかに感じた。

 また,みんなで作り上げたオフ会とはいえ,"言い出しっぺ"の方々の準備やホスピタリティのおかげで会が成功したのは紛れもない事実であり,感謝しているのでここで改めて心よりお礼を申し上げておきたい。ありがとうございました。また,ブログについて皆さんから得られた刺激はこれから徐々に,ブログを通じて示していくつもりだ。本当にお疲れ様でした。ブログサイコー。